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「驕り」に気付く | 断捨離編




先日、20年ぶりの大掛かりな断捨離をしました。

事情により断捨離期間の締切があり、タイトスケジュールとなっていたのですが…

家族の断捨離となると、みんなの協力が大切です。

とはいえ、断捨離に前向きな人、後ろ向きの人、無関心な人、捨てられない人、捨てられる人、心持ちは様々。時間の制限もあり、家族とぶつかり合うこともありました。


そんなぶつかりあいから貰った"気付き"のお話です。





気付き

 

断捨離中に家族とぶつかった時のことです。「言い過ぎちゃったー。」と反省することがありました。

同時に"モヤモヤ〜"という反応が生まれました。


このモヤモヤ〜!!!

とても大切な反応の一つであり、私の"しこり"に気付くチャンスです!なので、モヤモヤが出た時は、メモしたり、頭の片隅に残しておくようにしています。

※これは断捨離がひと段落して1ヶ月ほどたったとき。ふと、あの「モヤモヤ」は何だったんだろうと向き合っていた時の話です。断捨離中は向き合う余裕はありません。


さて、このしこりの原因は何なのでしょう。


「言いすぎちゃった私の心は、何を求めているのか。」と自分の心を探っていきます。


まず、我が家を綺麗にしたい。という想いがありました。

ですが、現実は片付け中。今まで以上に散らかっている部屋。

いつ片付くのか、先が見えず、普段の生活スペースがどんどん狭くなっていく状態。

すると、整理された家の(私の)理想像が大きく膨らみます。また、片付けが間に合うのかな〜という焦りや、思い通りに進まないイラダチが生まれます。

この、焦りや苛立ちは自分の思い通りにならないことで生まれています。それを思い通りにしようとして「言いすぎる」という言葉に現れていました。


いわゆる、私の持つ驕り(思い通りにしたい)が出ていたのです。

私が持つ"しこり"の気づきです。



更に「驕る私」に気付いた時、以前「驕り」に纏わる体験をしていたことを思い出しました。






「驕り」と向き合う前に、必要な体験があった!

 

1年前のこと。


私は入院手術をしました。

その際に一番苦しんだ事は、麻酔に関することでした。


そう!手術時に担当下さった麻酔科の先生は驕り強い先生だったのです。(力づく・自分の思い通りに進める印象の先生です。)


すると、下記のようなことが起こりました。

  • 麻酔薬の入れ方が強く、腕に痛みを感じ患者が不安になる。(2年前にも同じ手術を受けていますが、前回はゆっくり少しずつでした。)

  • 気管挿管も大胆だったのか、喉が傷つき、術後に声が出しにくく苦しむ。(気管挿管とは…麻酔中、呼吸を助けるために喉に大きな管を入れます。これも2年前は無かったこと。)

  • 術後、麻酔による副作用で病室で四苦八苦する。(これが一番キツかった。2年前とは雲泥の差でした。)


思い返してみると、この経験はとても有り難い出来事だったのです。


それは…

「どこかに驕る(無理やりやろうという)力が加わると

どこかに苦しみが生まれる。」

ということを身をもって体感することができたからです。


ただ、自分の驕りに気が付いていないと…

いくら苦しむ側を経験しても一年前の経験は活かせないということ。(断捨離中に「言いすぎる」をしている時には、私の驕りには気が付いていませんでした。)



2年前の入院時の麻酔の経験(驕りない状態)

1年前の入院時の麻酔の経験(驕られ苦しむ側)

今回の断捨離による私の「驕り」の経験(自分が驕る側)

3つを経験をしたことで、

一年前の麻酔科の先生は私の鏡となり、教えをくれていたことに気づかされました。

「あの麻酔科の先生、合わない〜!」とあんなに思っていたのに(笑)

驕りを持つ私にとっては必要な経験でした。



気づきの体験は時系列に関係なく、いろんな形で現れます。わかりやい登場というわけでもないので、気付くか気づかないかが大きな分かれ道となりそうです。そして、この気付きは私の成長のための宝となっています。すると「日常の中でどんなお宝が隠れているのかなー。」と"気付き"の宝探しがとっても楽しみになるんです。

面白そうって思いませんか…







※「認める・許す -断捨離編- 」のお話へ続きます。



恵果

✎ 執筆者

smile HYGGE yoga

​恵果

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